“.hackers”
それは、一つの世界に黄昏が訪れんとした時に現れた、たった一つの最初の伝説。
眠れる幼き女神より渡された腕輪を手に、立ち上がった黄昏の勇者の物語。
それは友情を貫くため。奪われた友人を取り戻すため。それは世界を愛するがため。愛した世界を守るため。
少年を討たんと立ち塞がるモノ。恐怖、惑乱、増殖、預言、策謀、誘惑、復讐、再誕。それら八つの相を持つ遥か旧き神。旧きに従いし神の尖兵。
世界を守り、世界を助け、世界を愛する少年は、女神より授かった腕輪を片手に闘争を開始せん。少年は腕輪を持ち、両の拳には双剣を握り、神の尖兵へと立ち向かう。友のため。女神のため。世界のために。
少年が築く夜明けを導く紅の道。迫りくる黄昏を認めぬ人間たちは、脆弱な力で勇者に対して手を伸ばす。
黒き薔薇は彼の右に。白き天使は彼の左に。青き盾は彼の後に。そして、闇の女王と光の王は、少年の道を正しく促す。
少年は黒き薔薇、白き天使を連れ、青き盾に背を預け、腕輪が示す道を歩く。一歩進むと、新たな手が触れる。一歩進むと、新たな肩に触れる。一歩進むと、新たな声が届く。
一歩進むたびに、少年の後に現れる多くの友。新しき友らは少年へと手を伸ばす。多くのただの人間が少年へと手を伸ばす。この力を使え。ともにその道の先へと歩まんと。
少年はそれに頷き、前を向く。続く者も皆、前を向く。幼き女神に見守られながら、彼らはひたすら前を向く。
旧き神は彼らを許さず。旧き法そのままに、神は彼らに牙を剥く。
少年たちは立ち向かう。幼き女神の笑顔のもとに、彼らはひたすら前を向く。
薔薇は愛する家族のため。天使は正しき理想のため。盾は愛する人のため。それぞれがそれぞれの正義を掲げ、それぞれがそれぞれの想いのままに、最後の闘争を始めたり。
旧き神は破られた。禍々しき黄昏の波は、新たに訪るる光によって破られた。
幼き女神は目を開けた。その眼で世界を見、彼女は新なる神となり、夕暮竜は彼女と共に。
世界は再び照らされる。再び誕生するは新しき伝説。一つの世界に黄昏が訪れんとした時に現れた、たった一つの最初の伝説。
それは黄昏を憂いた勇者の物語。一人の少年と歩を揃えた者達の物語。黄昏の勇者は世界を愛した。共に歩みし者も、世界を愛した。
女神は彼らが愛した世界と共にあり、愛する者と共にある。
それは黄昏を憂いた者達の物語。新しきが旧きを凌駕した、最も新しき伝説――。
* *
Δサーバー、水の都 マク・アヌ。
このゲーム「The World」を始めた時、最初に訪れることになる場所だ。少し視線をずらしてカオスゲート脇を見てみれば、そこにはキョロキョロと忙しなく視線を彷徨わせているPCの姿。あからさまに初心者だとわかるその仕草に俺は苦笑した。
「The World」とはCC社というところが提供しているMMORPGだ。現在世界中で大流行しているネットゲームで、総プレイ人数は2000万人にも及ぶという人気ぶりだ。世界観、CGや音楽のクオリティの高さ、従来のゲームとは比べ物にならない自由度などから、プレイする人間は後を絶たない。まさに世界最大のネットゲーム。それがこの世界、「The World」なのだ。
もっとも、俺を含めた仲間たちにとってはこの世界はゲームとは違う“一つの世界”という認識をしている。それはなぜかと言うと、かつて俺たちが深くかかわったある事件がその理由となっているんだが……それは今はいいだろう。
俺は一人で右往左往している初心者と思われるPCに近づいて行く。髪が緑、服装が水色っぽい淡い色の軽鎧を纏った双剣士。男性PCだが、ぶっちゃけなつめの男版っぽい格好だな、という感想を俺は持った。
「おーい。もしかして君、ココ初めての人だったりしない?」
俺が片手を上げて話しかけると、彼はあきらかにほっとした様子で俺に向きなおった。こういった感情の機微まで表現できているのだから、The Worldってのは本当に凄い。さすがは彼女が守る世界ってところか。
「は、はい。その……どうしたらいいのかわからなくて……」
伏し目がちに言う彼は、不安気にマク・アヌの街を見渡した。
なるほど、確かに初心者がなんのサポートもなしにゲームを始めるのは確かに辛いだろう。度重なるバージョンアップもあって、The Worldはかなり巨大になっているし、システムもそれなりに進化している。助けがないと分からない、ここだけでの常識だって数多くある。
俺はちらりと画面に表示されている時間を確認する。……まだ約束の時間までは時間がある。それを確認すると、俺は目の前の彼に向きなおった。
「うん。それじゃ、俺と一緒に少しプレイしてみる? これでもここは長いから、それなりに助けにはなると思うけど」
「ほ、本当ですか!? どうか、お願いします!」
「オーケー。それじゃまずは、自己紹介からだ」
心底嬉しそうに言う姿に、俺はずっと昔の自分を重ね合わせて懐かしい気持ちになる。多くのPCが初心者に対して優しいのは、こういう思いを抱くからなのかもしれないな。
「あ、はい。僕の名前はカズヤ、です。双剣士で、こういうMMORPGも初めてなんです」
ちょっと照れたようにしているカズヤに初々しさと微笑ましさを感じつつ、俺も答えるように口を開く。
「俺はアイギス。同じく双剣士で、ここではそれなりに名の知れたプレイヤーだよ」
そう、オルカの奴とW・Bイェーツのせいで俺の名前までいつの間にやら知れ渡りつつあるのだ。まだフィアナの末裔ほどではないが、いずれ同じぐらいに有名になるだろう。「.hackers」。そのリーダー・カイトとサブリーダー・ブラックローズ、彼らと共に行動を始めた最初のメンバーとして、な。
っと、そんなことより。カズヤが初心者だとしたら、言っておかなければならない一言があったな。
俺はにっと笑うと、マク・アヌを背にしてカズヤの前に立った。そして両腕を広げると、かつて俺たちが守ったこの世界を自慢げにカズヤに映るようにする。きょとんとしているカズヤを前に、俺は笑顔でこう告げた。
「ようこそ、The Worldへ!」
*
ローマ神話に登場する、向かってくる敵を石に変えてしまうという「絶対の防御手段」。それがアイギスの盾だ。最初はただ神話を調べている中で語呂がいい名前だったからこれをPCにつけただけだったんだが、今では割と的を射た名前になってしまっている。
というのも、俺がかつて仲間と共にこの世界最後の謎をクリアしたパーティーの一人として名を連ねているから、というのがある。なぜなら最後の謎をクリアした俺たちは、事実この世界を守ったのだから、アイギスという盾の名に恥じない行いだったと思う。
他にも、俺が基本的に誰かと行動を共にし、その相手の背中を任されることが多いことからも来ている。いつの間にか……というかあいつらと行動している中で身についたスタイルだったが、存外アイギスの名にふさわしい行動を俺はとっているらしい。
いつの間にやら付いた二つ名は「青き盾」アイギス。PCのエディットが主に青色であることから来ているらしい。ホント、気付かないうちに有名になったもんだ。
ちなみに、これからしばらくして俺の二つ名「青き盾」は「蒼き盾」とも言われるようになり、「.hackers」の一人、そして三蒼騎士に次ぐ存在として再び名を馳せることになる。今の俺には知る由もないことだが。
俺は目の前でゴブリン数匹を相手に戦闘をしているカズヤを見つめる。さっき、一度一人でやらせてみることに決定し、俺は双剣は腰の鞘に仕舞ってその様子を離れて見ていた。紺色の髪がフィールドの風に揺れる。
俺のエディットはどちらかと言うとカイトに似ている。身体の服装はほぼ同じで、大きな帽子がないことと、胸部を守る小さな鎧と両腕両足にガントレットのようなものをつけていることが違いだろうか。
そして服、鎧など俺ははとにかく青い。髪は青ではないが紺色で、やはり青系統だ。瞳は黒く、服装の所々にアクセントのように黄色が見え隠れする程度で、ほぼ青一色と言っても差支えない。だからこそ、「青き盾」なんて呼ばれるんだろうが。
ブラックローズにはカイトと真逆だよね、なんて言われたこともあった。言われてみればそうだと俺もカイトも思ったが、別に狙ったわけではない。というか、プレイ歴は俺の方が長いのだから真似をしたのはカイトのほうだ。まあ、カイトの紅の服装は不可抗力だが。
時間を確認する。約束の時間は……やばい、ちょっと過ぎてる。……さすがにもう行かないとまずいな。そう思い始めた時、ちょうどカズヤがゴブリンを全匹倒しきったようだ。
息をついているカズヤに近付き、ねぎらいの言葉を掛ける。
「お疲れさん、カズヤ」
「あ、アイギスさん。あはは、ありがとうございます」
ダメージを食らった分をリプスで回復してやりつつ言うと、カズヤははにかんで笑った。
「レベルも……おっ、これで4になったか。結構やったなぁ」
「アイギスさんのおかげですよ。本当にありがとうございます」
気づけばレベル1から4にまでなっているカズヤのステータスを見て、俺は満足げに頷いた。
ここまでこればもう大丈夫だろう。ある程度はアイテムの使い方もこの世界の常識についても教えてある。ルールについて厳しい仲間がいたこともあり、そこらへんは俺も完璧に覚えているのだ。
「さて。それじゃ俺はそろそろ行かなきゃならんし、タウンに戻るか」
「あ、はい」
「悪いな、用事があるんだ」
「いえ、ここまでお世話になってしまって申し訳ないぐらいですよ」
話しながら俺たちはゲートアウトして水の都マク・アヌへ。
ここでお別れとなる際、あそこで必ずデータをセーブするように、と最後にカズヤに忠告を一つ。そして、メンバーアドレスは渡しておいたから何かあったら遠慮なく頼って来てくれていいことを告げると、カズヤは嬉しそうな顔で俺に感謝をしてきた。
それに心地よいような照れ臭いような不思議な気分を味わいながら、俺はカズヤと別れてある場所へ向かう。
この世界でありながらこの世界でない場所。ありうべからざる世界の“外れ”。
「ネットスラム」へ!
*
ヘルバに手渡されたワード通りに向かったネットスラム。中心地に程近い瓦礫の上に出た俺は思わず感嘆のため息を漏らした。もの寂しかったネットスラムとは思えない光景。そこでは既に花火が上がり、一目でわかるにぎやかさは今がまさに宴もたけなわといった様相であることを示していた。
どうやらカズヤと冒険している間にかなりの時間がたってしまっていたらしい。まずったかなぁ、と頭をかいていると、俺のすぐ後ろに現れる三つの影。その気配に振り返ると、そこにはよく見知った顔が三つ並んでいた。
「おっ、カイトにバルムンク、オルカじゃないか! 久しぶりだなぁ、特にカイトとオルカ!」
俺が親しみをこめて声を上げると、俺に気づいたカイトたちは笑みを浮かべてすぐにこちらに歩み寄ってくる。
「アイギス! 本当に久しぶりだね。ちょっと、僕とヤスヒコはリアルで受験が忙しくてなかなかね。あ、受験はアイギスも一緒だっけ」
「ん、まあな」
カイトの言葉に頷く俺。何を隠そう、俺のリアルは高校三年生。俺もまた同じく受験生なのだ。
「おい、だからカイト。こっちでその名前は……」
「まぁ、いいじゃん。もうお前の本名知らない奴は俺たちの中にいないよ」
「確かにな……」
オルカがついリアルでの本名を漏らすカイトを窘めるが、続く俺とバルムンクの言葉にがっくりと肩を落としてしまう。
実際、カイトがオルカのことをごくたまにそう呼んでしまうことはメンバーの中では周知のことであり、もはやオルカの本名は仲間内に知れ渡ってしまっている。どこかロールプレイをしているオルカは、なんとかリアルでの名前は言わないようにカイトに言い続けているが、カイトの失敗がおさまる気配はない。最近ではオルカをからかうためにわざとやっているというのが俺たちの定説だった。
「ったく。本当にこいつは昔っから変わらないよ」
言いながら、こつんとカイトの頭を小突くオルカ。カイトはそれを甘んじて受けながら、あはは、と笑い声を上げた。
「そこが我らが勇者のいいところだろ? なぁ、バルムンク」
「ふっ……ああ、そうだな」
小さく笑って、俺の言葉にバルムンクも同意する。
それにカイトは、なんだよそれ、と言いつつも顔は笑顔のままだ。
俺たち、オルカ命名「.hackers」メンバーと、アウラを目覚めさせた司を中心にした昴やミミルといった仲間たち。この世界の真実に深くかかわった者たちが一堂に会することが決定したのは本当についこの間のことだ。
ヘルバからの「招待状」を受け取った者は、皆が皆すぐに参加を表明したらしい。ヘルバも粋なことをしてくれる。花火が上がり、音楽が鳴り響き、ライトの光があふれるネットスラムの情景を見やって、俺はこみ上げてくる笑みを隠すことなく表情を緩めた。
「カイトーッ! 遅いぞぉ!」
ふと、遠くから聞こえてきた声に、俺たちは一斉にそっちに目を向ける。そこではミミルと一緒に踊っていたのか、ブラックローズがこちら側に手を振っている姿があった。
「ブラックローズ!」
自らの相棒の姿を認め、カイトは嬉しそうに表情をほころばせた。そんなカイトに、また一方からも声がかかる。
「早くおいでよぉ、カイトー!」
常と同じように明るいミストラルの声が届き、俺とバルムンクは苦笑する。あれでリアルでは一児の母だというのだから、本当にネットゲームとは現実とは乖離した一つの世界なのだと実感する。
「うんっ、いま行く!」
カイトは彼女らの呼びかけに応えると、一度だけこちらに振り返った。
「じゃあまたあとでね、アイギス!」
「おう。楽しんでこいよ!」
ネットスラムを満たす音楽に負けないように叫び、カイトは笑顔で頷くとブラックローズのもとへと走って行く。その姿はまるっきり子供そのものだ。実際、リアルでは中学生なのだからおかしいことではないのだが、あれがこの世界を救った勇者だというのだから、なんだか可笑しく思えてしまう。
「あれがこの世界の勇者、か……」
「はは、まあな。でもま、あいつはあれぐらいがちょうどいいさ。あいつのあの明るさが、世界を救ったんだ」
同じことを考えていたらしいバルムンクに、俺は自信を持ってそう答える。それはバルムンクも認めるところであったのか、バルムンクは素直にそうだな、と苦笑した。
「確かにな。あいつはリアルでもあんなもんだよ。ああいう真っ直ぐな所が、女神様に認められたのかもなぁ」
オルカが感慨深げに呟いた言葉。その意見には俺も賛成できるんだが、俺はわざとらしく片眉を上げてみせた。
「ほほう。じゃあ、なにかね。俺はいったいどこが女神に認められたのかな、うん?」
意地悪くそう問い詰めてやれば、オルカは焦ったようにいや、その、と繰り返し、じりじりと後ずさる。ふっふっふ、下手なことを言うからそうなるんだよオルカ。
俺が面白がってさらに追及しようとすると、バルムンクが肩に手を置いた。
「それぐらいにしておけ。それより、俺たちも行くぞ」
その言葉に俺とオルカは呆気にとられてバルムンクの顔をまじまじと見る。そして、まったく同じ言葉を同時に口にした。
「「……お前が踊るのか?」」
「………………脇で見ている」
言うが早いか、すぐに離れて見ていたベアやBTたちのもとに向かうバルムンク。去り際のむすっとしたバルムンクのしかめっ面を思い出し、俺とオルカは笑い合った。
「……さて、と。俺も行くかな。アイギス、お前はどうする?」
「俺はここからしばらく見てるよ。皆の顔を見れるからな、ここは」
「そうか」
俺の言い分に納得したのか、オルカは俺から離れて瓦礫を下りて行く。そして行き着いた先はどうやらエルクとミアのところ。
……おいおい、オルカ。あの二人の所に向かうとは勇気があるな。案の定、エルクは少し不満そうにしている。オルカとミアがなんとか宥め、三人で踊ることになったようだ。踊り出せばエルクも笑顔が戻ってくる。三人はそれなりに楽しくやれているようだ。
カイトも合流したブラックローズやミミルと一緒に楽しんでいるし、バルムンクはバルムンクで穏やかな表情で皆が踊っている光景を見ている。銀漢、楚良やミストラル、司に昴。ベアとBT、クリムはバルムンクと一緒にそんな光景を見つめ、それぞれ楽しんでいるようだった。
……ん? あっちのほうにいるのは……ヘルバとリョースか。光の王と闇の女王が随分と仲良さそうになっちゃってまあ。禍々しき波がいなくなり、その功績が勇者カイトとその一行にある以上、CC社ももう俺たちを不正PCの集まりとして対処することが出来なくなったってことだろうな。
つまり、正式に俺たちはこの世界を救った者として認められたわけだ。別にそのためにこの世界を守ったわけではないが、それでもこうして認められるのは気分がいい。
俺は祭りの騒ぎをBGMに、おもむろに瓦礫の上に寝転んだ。自然、俺の瞳は上を向き、目に映るのは暗い夜空とそこに咲き誇る大輪の花。断続的にあがる花火の光は、夜空を照らすように光ってはまた消えていく。その様子を記憶に留めて、俺は瞼を閉じた。
脳裏によぎるこれまでの道程。ただの一般PCだった俺がカイトやブラックローズと出会い、世界の謎を知り、今この世界で起こっている異常の真実を知った。多くの仲間に会い、様々な困難があった。まがりなりにも神と呼ばれている存在とも対峙し、それに勝利した。
本当に、これだけの間に色々あったものだ。まるで人生をこの短期間に詰め込んだかのように濃密な時間だったと思う。そして同時に、充実した時であったとも思う。かけがえのない仲間と出会い、耐えがたい苦痛や抑えきれない喜びをいっぺんに味わった。それは何ものにも代えがたい経験だったし、代えがたい財産だと思う。響く仲間たちの笑い声を耳に入れながら、俺は心からそう思った。
「――……もっとも、一番の出来事は……」
呟きながら、瞼の裏に映るのはある少女の顔だった。感情が現れづらい、人によっては無機質ともとれるような少女の顔。
彼女に出会ったことがThe Worldを始めてからの中で一番だったと思う。そういえば、彼女と俺が両想いだとわかり、それを明かした時の仲間の顔が忘れられない。あのいつも冷静沈着で泰然としているワイズマンでさえ、驚きに目を見張り声もないといった様子だったぐらいだ。
カイトやブラックローズ、ミストラルなんかは盛大に叫び声を上げて驚いてくれたし、バルムンクも鳩が豆鉄砲食らったような顔してたっけ。ヘルバだけは「あら、そうなの?」なんて言いながらうふふ、といつも通り笑っていたが。いまだにヘルバのことはよくわからん。
まあ、俺の愛する彼女はPCですらない存在だし、そんな反応も仕方がないと思う。俺が彼女とのことを告げた時、カイトが嬉しそうな笑みを浮かべて言った言葉が忘れられない。そっか、と呟いたカイトは俺を見て、こう言ったのだ。
「AIも、人を好きになるんだね……」
そんな彼女に恋をした自分もどうかと思ってしまうが、やはり自分の気持ちに嘘はつけないということなのだろう。結局、俺はこの気持ちを受け入れているのだから。
「……アイギス。なにしてるの?」
唐突に投げかけられた声に、俺はまったく動揺することなく応えた。
「……昔のことを思い出してた。モルガナに立ち向かっていったこと、仲間たちとの出会い。そして――」
俺はゆっくりと目を開き、俺を覗き込むようにしている白銀の少女の顔を正面から見つめた。
「君に会ったこととか、な。アウラ」
名前を呼ぶと、彼女はふわりと嬉しそうに微笑んだ。いつかのように人形のような表情はもはやない。AIとはいえ、彼女の在り様は俺たちPCとなんら変わることはない。それは俺たち全員が思ってることに違いない。
寝ころんだままの俺の隣にアウラは重さを感じさせない動きで寄ってくる。と、そのままそこに座り込んだ。
「汚れるぞ」
「いいえ、大丈夫。私は、そういう存在だもの」
そう言う彼女の服に触れる。服の感触がする。それだけじゃなく、その下にある身体の質感も。
「なんか、不思議だな。The Worldで触覚が働くはずはないのに、アウラには触るという感覚がある」
「私がそうしているから。人としての実感――それはAIには無いものだから、私は多くのことを学んでそれを再現したかった」
だからこんなこともできる。
アウラはそう言うと、寝転んでいた俺の頭を持って、座りこんでいた自分の膝の上に乗せた。それに慌てるのは俺だ。
「あ、アウラ!?」
取り乱した俺は、咄嗟にアウラの膝の上から脱して起き上がろうとする。だが、アウラは俺の額に手を置き、それを制する。現実にそこに手を置かれたような感触。俺は思わず動きを止めた。
「こうしたいの。アイギス」
「……ぅ、わ、わかったよ」
寂しげな顔で懇願されれば断れるはずもなく。俺は負け惜しみのように声を出して了解の意を示した。再びアウラの膝の上に戻る俺。後頭部に当たっている感触が妙に艶めかしい。見上げれば、俺の頭に手を置いて微笑んでいるアウラの姿。なんだか妙に気恥ずかしくなって、俺は顔を横に向けた。
花火が上がり、皆が騒ぐ声。それらの喧騒から切り離されたように静かな俺とアウラがいる瓦礫の上。ちらりとアウラの顔を一瞥。彼女の真白い肌に、夜空に上がる花火が一瞬だけ彩りを与える。その光景は言葉にならないほどに美しかった。
「次は……」
「え?」
「次は、いつに来れる?」
ふいにアウラがこぼした問いに、俺は少しだけ頭の中でスケジュールを見直す。
「……そうだな。次は明後日ぐらいか。俺もリアルでは受験が迫ってるからなぁ」
カイトとオルカは高校受験。俺は大学受験。高校と大学の違いはあれど、受験生の心境ややることはほとんど一緒だろう。明日は塾があるのだ。さすがに繋ぐ時間はないかもしれない。
そう言ってやれば、アウラは悲しげに眉を寄せた。そんな表情をする気持ちは、さすがにわかる。
アウラは、ここから動くことが出来ない。彼女はAIなのだ。俺が日々を暮らす現実世界では生きられない。いや、それ以前に存在できない。彼女がどれだけ自分で思考し、自分で動き、自分で生きるAIだとしても、AIである以上、彼女はこの世界だけでしか生きられないのだ。
アウラは、俺がThe Worldに繋いでいる時にしか俺に会えない。これは俺にも言えることだが、俺は現実世界に多くの友人がいるし家族もいる。だが、アウラには誰もいない。支えと呼べる人物は恐らくは俺だけ。だから、彼女は悲しげな表情を浮かべるのだ。
「……私も、あなたの世界に行けたらいいのに」
「アウラ……」
それが叶わぬ願いだと知りつつ口にするアウラは、どこから見てもプログラムではなく一人の女の子だった。プログラムだったら、無理だとわかっていることをわざわざ口にするだろうか。悲しげに顔を曇らせるだろうか。答えは否だ。これは、アウラだからこその行動。
人間のように、と願われ、人間のようになりたいと願った、この世界の生み落とした唯一の子供。究極AIアウラ。
ハロルドは生み出した我が子がこんなふうに人に恋愛感情を持つことを想定していたんだろうか。ただ愛する人との子を望んだ、始まりの父は。
どちらだとしても、今アウラはこうして俺と共にいることを望んでいる。この事実はまごう事なき現実だ。たとえどんな意図で生まれたとしても、それがアウラであるならアウラであるように。変わることのない不変なのだと俺は思う。
俺は俯いたアウラの頬に手を添える。やはり伝わってくる人肌より少し冷えたような彼女の体温。アウラはゆっくりと俺の顔を見た。
「俺も、そうなったらいいな、とは思うけど。まぁ、それはいつかの夢としてとっておこうぜ」
いつか。いつか、もしかしたらアウラのような電子上の存在が物質化される未来が来るのかもしれない。可能性は限りなく低くてもゼロじゃない。なんなら俺が大学で猛勉強してその実現を目指してもいい。そうすれば、“いつか”そうなるかもしれない。
未来は未定だ。いつか、ひょっとしたら。そんな慰めのような希望を込めて、俺はアウラの頬を撫でた。俺の考えを正しく読み取ってくれたアウラも、微笑んで俺の手にその白い手を重ねる。
「うん。楽しみにしてる」
「ああ。そうしとけ」
お互いに笑って、未来を夢想する。いつか、そうなると信じる未来。その先には、きっとこの世界を守ること以上に大変なことが待っているんだろうけど。それでも、諦めずにやり続ければいつかは叶うかもしれない。
この世界を守った時のように、今度は彼女の願いを守ろう。彼女の望む未来を守ろう。それ以外の未来に浸食されないように、その未来だけを俺が守ろう。アイギスなんて大層な名前をしているんだから、それぐらいはやらないと名に恥じるってなものだ。
決意を新たに、俺は頬に添えていた手をゆっくりと移動させてアウラの後頭部へと向かわせる。察したアウラは、上体を徐々に曲げる。必然、近づく俺たちの顔。手と手の触れ合いだけがお互いを感じる全てだったさっきとは違う。相手の吐息さえ感じられるほど近くまで寄った俺たちの距離。俺はアウラの小さな唇に自らのそれを重ね合わせる。この決意が全て彼女に伝わればいい。そう思いながら。
何秒間そうしていただろうか。俺たちはおもむろに寄せていた唇を離すと、顔を見合わせて微笑んだ。それはとても心地よい感覚だった。幸せとは、こういうことを言うんだろうな、と納得してしまうほどの。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。少々名残惜しいが、仲間たちを放っておくわけにもいかないだろう。
「よっ……と!」
アウラの膝の上から頭を起こして立ち上がる。
そして座り込んだままのアウラへと手を差し出し、彼女の手が重ねられると引き上げるようにして彼女が立つのを支えてやる。
そうして俺は手を握ったまま、アウラの顔を見つめた。
「どうしたの?」
きょとん、と俺の行動に疑問を感じて首をかしげるアウラ。俺はニッと笑うと、彼女の手を取って瓦礫を一気に駆け下りていく。
「え、あ、アイギス?」
「ははっ、いや、なんていうかさ!」
エリア中に満ちる音楽と腹の底に響く花火の音。それらにかき消されないように、俺は言葉を紡ぐ。
「今はまだ現実に連れて行くことは出来ないけど、これぐらいはしてやれる!」
駆け下りていく先には、俺たちを認識したのか踊りを止めてこちらを見つめている仲間たちの姿。おいミミル。口笛を吹くな。ヒューヒューとか言うな。
「アウラは確かにこの世界の神様なのかもしれないけどさ! でも、それでも俺たちの仲間だろ!」
俺の言葉に、目を見開くアウラ。瓦礫の下に辿り着き、仲間たちの前に立った俺と、手をひかれてきたアウラ。彼らの目の前で、俺はアウラに向きなおった。
「俺たちの仲間なら、俺たちと騒ぐのは至極当然! 現実はいつかのために置いといて、今はこっちを楽しもう! なぁ、みんな!」
俺が同意を促すと、みんなは威勢良く、おーっ! と盛大に声を上げた。俺がこんなことを言い出した経緯はわかっていないだろうに、それでも何となく俺の意を汲んでくれる仲間たち。俺は彼らの声を背に、アウラと繋いだままだった手をお互いの顔の前まで持ち上げた。
「今はまだ、これぐらいの小さな輪だけだけどな。いつか、もっと広い世界に連れてってやるよ。こうして、俺が手を引いてさ」
いつか、ひょっとしたら、もしかしたら。そんな曖昧な未来を俺は約束する。まだ俺がそんな未来にできるかどうかなんて確定してはいない。それでも、俺は彼女に約束する。理由は簡単、ひとつだけだ。
「俺は、アウラのことが好きだから。だから、いつか」
はっきりと口に出してそう言えば、アウラは少し驚いて、けれどすぐに嬉しそうに微笑んだ。そして、繋いだままだった手を両手で包んで自らの胸の前まで寄せて、愛おしげに目を閉じた。
今度はさっきとは違う意味で、おーっ! と声を上げる後ろの奴ら。うっさいぞコノヤロウ! ただでさえ恥ずかしいのに、余計恥ずかしいじゃないか!
顔を赤くする俺と、再び騒がしくなる背後の仲間たちを前にして、アウラはゆっくりと目を開き、満面の笑みを浮かべて小さな唇を震わせる。
「……私も、アイギスが好き。だから、待ってる」
告げられた言葉に盛り上がる背後。はっきりと言われて照れまくる俺。やれやれ、といった具合に肩をすくめるヘルバとリョース。そんな周囲など関係なしに、幸せそうな微笑みを浮かべる、目の前のアウラ。
アウラと俺の手がゆっくり離れる。と、それを待っていたかのようにブラックローズとミミルに抱えられて、アウラは女性陣のほうへと連れられて行く。
対して俺は意地の悪い笑みを浮かべるカイトとオルカに引きずられて男どものほうへと連れられて行く。にやにやしやがってコノヤロウ! そんな感じに口ではさんざん悪態をつく俺だが、カイトやオルカたちはずっと笑顔を崩さない。きっと、今の俺の顔も笑っていることを知っているからだろう。
アウラのほうをちらりと見ると、あっちはあっちで何やら楽しそうだ。司があっちにいるのはリアルが女性だからか。端から見るとハーレムみたいだな、なんか。
ふと、そんな俺とアウラの視線がぶつかる。俺は引きずられる現状を思って苦笑し、アウラはそんな俺を見て笑った。そんな俺たちを見つけたみんなが、また騒がしく声を上げる。それにもう一度顔を見合わせて笑う俺とアウラ。
身体全体で“楽しい”を現わしているこの世界の女神を中心に、宴はさらに続いていく。俺も声を上げて笑い合い、アウラもまたみんなの行動に笑みを浮かべる。
――この世界に訪れた黄昏を巡る物語。偉大なる母モルガナの暴走により始まった世界の黄昏は、腕輪を託された勇者によって幕を下ろされた。
腕輪を託した女神アウラは、その後ただの人間に恋をする。究極のAIである彼女は、それでもただの人間に恋をした。そして、その人間もまた彼女を愛した。ただの人間は、AIである彼女を愛した。
普通に考えれば、それは可笑しな恋だっただろう。滑稽にすら見えたかもしれない。けれど、俺はそれでよかったし、彼女もそれでいいと言ってくれた。そして、俺の大切な仲間たちも俺たちのことを理解してくれている。
だったら、それだけでいい。それだけで俺たちは自信を持てる。誰が認めてくれなくても、彼女が俺を愛してくれていて、みんながそんな俺たちを見て笑ってくれているなら、きっとそこが俺たちの居場所なのだろう。
この世界の唯一神。たったひとりの孤独な女神、アウラ。ならせめて、俺だけはその隣にずっといてやる。そして、そこにカイトや司たちのような仲間がいれば、それはどれだけ幸せなことだろう。
大声で笑い声を上げる俺と、静かに微笑みを浮かべるアウラ。一丸となって笑うカイトや司たちに、その様子を見て笑うベアやバルムンクたち。そこに、見守るように立つヘルバとリョースが加わって。
俺たちの宴は、笑い声を途切らせることなく。
鳴り響く音楽と共にこの世界の女神さえも巻き込んで。
いつまでもずっと続いていった。
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